「体育がきらい」を読んで
ちくまプリマー新書の「体育がきらい」坂本拓弥著 を読みました。
著者は、大学で学生に体育を教えている先生です。
体育嫌いが生まれてしまうのはなぜか、体育とはどういった授業であるのが望ましいかについて述べられています。スポーツを長年やってきた運動の得意な人が、体育の先生になることが多く、スポーツができることが体育ができることだと思われやすくなっていることも、体育嫌いを増やす一因になっているのではないかと書かれていました。
著者は、体育嫌いになられてしまうのは、勿体無いと感じて、研究を続けています。それはなぜかというと、体育を通して、身体のもつ豊かな可能性を感じて欲しいと思っているからです。
これには、私も賛成します。自分や他人の身体を感じられることで、相手への共感が育つこと、身体を育てて、動きを獲得することは自分の世界が広がること、自分には世界を広げて体験していけるだけの身体の力があると信じられるようにすることを、もし本当に体育の授業で学ぶことができたら、本当にいいなと思いました。
子どものころ、私は運動ができる子がとてもうらやましく思っていました。。速く走れるのは楽しそうだし、プラカードで応援の練習をするのはつまらないと思っていました。国語や算数は分からない子が理解できるような授業内容になっているのに、体育は運動のできる先生と運動のできる子達で盛り上がっていて、苦手な子は放置される時間のように感じていました。
大人になってヨガやピラティス、フラなどを習ってみたりしました。続けた分多少の身体の変化は感じましたが、このまま続けても、本当に変わって欲しい、根本的なところは変わらないだろうなと思い、自分の身体でいることにうんざりしていました。ところが、ようやく最近になって気づいたのは、スポーツ以前に、基本的な身体の使い方の問題を解決する必要があったということです。歩き方、立ち方、呼吸のしかた、日常生活を送るのに必要な動きが、どれも身体にとっては無理があるものになっていました。例えていうなら、サイドブレーキを引いたままアクセルをふかして、車が速く走ってくれない、すぐ壊れると不満をいうような感じです。身体には相当の負担をかけていたと思います。
私自身は、ボディナミックでいうニードの段階(1ヶ月〜18ヶ月)でつくられる性格構造が強いです。この時期の赤ちゃんは、うつ伏せから上体を起こしたり、寝返りをしたり、おすわりをしたり、重力に抗して姿勢を保持することを学びます。これらに関わる筋肉が諦めていると、猫背、顎が上がる、胸が凹む、お腹の力が抜ける、股関節が内に向くようになるのですが、私には当てはまっている箇所がいくつもありました。今体の位置や動かし方を再確認しています。体幹がしっかりしていないことによる影響がこんなにも大きいのかと驚きました。捻れに捻れていた箇所が少しずつ整ってきていて、そうすると、整っている方がずっと心身ともに楽になることがよくわかります。
まとめると、重力に負けないように姿勢を保ち、保った状態で歩くために必要な筋肉は、インナーマッスルであり、0歳〜2歳までに活性化されるものが多いです。アタッチメント(愛着)の課題を抱えている人は、その時期に活性化されて筋肉が諦めていて力が入らなくなっていたり、もしくは過剰に緊張していることが多いため、結果として、呼吸、姿勢保持、歩行などの問題を抱える可能性も高くなるのではないかと感じています。もし、自分にはアタッチメント(愛着)の課題がありそうだ、もしくはいろんなこと試してみたけれど、なかなかうまくいかないという方には、発達の動きをやり直してみることをお勧めします。
体育の授業でも取り扱ってくれるようになったら、大人になって心身の不調をきたす人を減らせるだろうなとも思います。