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ボディナミックを日本中に広めたい〜ボディナミックとの出会い

[2023.05.01]

まだまだ日本では知名度の低いボディナミック、これからもっと多くの人たちに、ボディナミックの良さを知っていただき、活用していただきたいと考えています。

その前に、私がどんな経緯で、ボディナミックに出会い、学び、活用していくようになったかについてご紹介したいと思います。

小児科研修医として茨城県の病院に勤めていたとき、病院の売店に並んでいたAERAムックが目に止まりました。

確かこころとからだのケアがテーマだったような‥。

慣れない仕事にいつでも緊張していて身体中がガチガチで痛くて辛かったので、その頃日本に導入され始めたロルフィングというボディーワークの記事が目に止まりました。

その後、群馬の病院に異動になり、そこからりょうもう号に乗って都内のロルファーさんのところに通いました。

彼女から、ボディナミックのワークショップがあるんだけど、小児科のドクターなら面白いんじゃないとチラシをもらったのが始まりです。

2002年?2003年?だったか、神戸のイントロダクトリー(紹介)ワークショップで、デモセッションを見学した衝撃は今もはっきり覚えています。

講師のエリックが、参加者にちょっとした動きをするように伝えて、その動きをすると、その方の感情が溢れてきたのです。

今になれば、前鋸筋を使って腕を伸ばす動きをしたのだな、横に座って三角筋に触れていたんだ、とわかるのですが、その時は魔法みたいだと思いました。

横浜で、ファウンデーショントレーニング、プラクティショナートレーニングが開催されることになり、トレーニング優先にするために、非常勤の仕事に変えました。

プラクティショナーになるためには、自分自身のセラピーセッションを受けることも義務付けられていて、これがとても辛かったのですが、最大の恵みだったと思います。

アタッチメントに課題を抱えている人はこの世の中にたくさんいますし、私もその中のひとりでした。回避型のアタッチメントスタイルだったので、心の中に安全基地がなくて、いつでも不安で、それなのに不安な時ほど自分の中にこもっていました。

セラピーセッションで、講師のディータに、乳児期(ニードの段階)に発達する筋肉に触れられると、突然涙が溢れてきて止まらないことが度々起きました。その悲しみを受け止めてもらったあと、世界の見え方が全然違うことに驚いたことを覚えています。

後に読んだ「愛着と精神療法」の中に、ディータとのやりとりと同じような記載があり、私自身が愛着障害を取り扱ってもらったことがはっきりと分かりました。

言語でのセラピーで愛着の課題を取り扱うことが難しいのは、言葉を話す前の、身体的なコミュニケーションを行なっている時期だからで、私自身が精神科医でありながら、身体を使ったセラピーに関心が向いたのはそういうことだったのだと納得しました。

2018年、乳児院の嘱託医を引き受けることになり、乳児院に預けられることになった赤ちゃんをみることになりました。試行錯誤しながらボディナミックで教わったことを実践していきました。ほんの3年ですが小児科医だった経験がここで役に立っています。新生児期、乳児期に発達を始める筋肉に触れて、その段階で必要なメッセージを声かけしていくと、赤ちゃんの動きが増えたり、姿勢が安定したり、視線がはっきりと合うようになったり、発語が増えたりするのです。

「The First Year and the Rest of Your Life」には生後1年までの動きのパターンが、その後の人間関係のパターンに影響してくると書かれているのですが、その通りだと感じています。

大人になってからでも変化することはもちろん可能で、そのパターンに気づき、新しいパターンを獲得していくことができれば、人間関係のパターンも変えていけます。この続きはまた。

 

 

 

 

 

 

 

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